革靴にはまったときから今まで、下駄箱が水槽に見える。
というか実のところ、部屋も水槽に見える。五十嵐大介のリトルフォレストだったかな。部屋中が水に満たされるイメージが描かれたシーンがあって、多分それが頭に強く残っているのだと思う。
我が家は私が子どものころは、姉と二人でぜんそくが酷く、動物などは飼ってやれないのでと熱帯魚を飼っていた(この時期に私は肺炎になり、そこから私のプラモ人生は始まり、時折途切れては今日まで続いているのである)。そのせいもあるだろう。砂利の中にビー玉が混じったり、使わなくなったそば猪口にイトミミズを入れ魚たちに食わせる。
模型を部屋に置くときは、そういうことをたまに思い出す。水槽だ。この部屋は模型の水槽だと。なので、ごちゃごちゃっとさせたのが楽しいときと、大きいのが少しいるのが楽しいときとか、その辺の判断は多分、水槽のレイアウトを考えるときと似ているかもしれないと思うことが多い。模型を買うときも、新しい魚を買うような気持ちだと思う。小さな水槽が部屋に積まれていく感覚だ。
それを取り出して、組み立てる。大きな水槽に魚が解き放たれたように部屋に置かれる。これは楽しい。何度やっても楽しい。飛行機なんかは特にそうだ。本当にまるで魚のよう。
私は自分が模型を作ったり飾るときはそういうことを考える。
一方で、「そういう魚」として模型界という海で泳いでいるような感覚もある。
なので私はデカいマグロやイルカやシャチのチームに入りたいとも思うけど、私は私なりに独自路線でありたいと思うし、上手い人は一杯いるので、上手くなりたいって思って読んでもらうコンテンツを自身が表現する必要はないと思っていたりする。
ただ私のブログの模型の記事を見て「模型作りたくなった」っていうのは本当にうれしいので、もっと言われたいけど。
こうして書いているのは私が文章を書くのが好きだっていうのもあるが、究極は雑誌やブログを見て「模型作りたい」って思ったから誰かに「模型作りたい」って思ってもらいたいからなのだろう。
でも、そういったものの真似をするだけだと「模型作りたいを見た模型作りたいの記事」みたいになっちゃって「俺の模型作りたい」は誰かに伝わらないから、こうして自分なりにいろんなことを考えたり思い出したりして、自分の輪郭をこうやって文字にして「俺はこういうTribeだけど、お前らは、どう?」なんて踊って見せるように仲間を増やそうとしているのかもしれないですね。
特に今は時期的にそういう多様な模型の楽しみはもっと書きたいけど、一人だと多様さにも限度があるので、もっと色々と固有のものが書かれると、それを見て「お、模型作ろう」なんて人が増えて良いかもしれないですね。
いろんな人が増えて集まると良いな、と思いながら明日も踊ります。
お題「#おうち時間」
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