どの趣味も、いや多分、生きている中でのどの営みもだ。決して全てを手に入れることはできない。だから楽しいし、飽きるか死ぬまで楽しむことができる。興味が失せた後に見かけるそれはかつての恋人か、あるいは卒業して離れ離れになった同級生と街ですれ違う感覚と似ていると思う。
世界中の靴が欲しいと思ったことがあったし、世界中の時計が欲しいと思ったこともあった。あの作家の本は全部ほしかったし、指の本数よりも指輪は欲しい。そういう「ありとあらゆるものを手に入れたくなる感覚」を鼻から頭へ一気に吸引できる本が「匂いの帝王」が五つ星で評価する世界香水ガイドⅢだ。
なぜ、香水のガイドを書く上で、コンコルドに乗らなかったことを痛切に後悔したことを書く必要があるのだろうか、兵役から戻ってきた友人の話を書くのだろうか。そして、それらが持つ最初の一文の切れ味が読み手の心を開き、短くも壮大な物語に目を走らせてしまうのだろうか。
それはきっとコンコルドや兵役の話をしたくなる素晴らしいものが香水の世界にあるからだ。そして、香水以外のものも、きっとそうなのだと思う。だって、私の指にはいまだにギリシャのジュエリーデザイナーのゴシック調の彫刻が素晴らしい指輪ははめられていないし、ドイツ製のユーロファイターモデルのクロノグラフは腕に巻かれていない。指輪も時計も持っているけど、まだ何も手に入れられていないのだ。
今の私の場合は指輪や時計になるのだけど、世界香水ガイドⅢは読者に「君もすべてを手に入れてみないか?」と語りかけてくるような強さがある。読んで面白いだけならまだいい。こうやって、物欲を掻き立てるものはキケンだ。キケンだからとてもいい。
それにしたって薄クリーム色の本文用紙に紫色の文字色は格調高い補色対比になっていて、非常に素晴らしい。これは私がプラモデルを塗るようになって、色に興味が湧いたから感じることができたこと。そして、この本を読んだせいで、紙をめくるときの匂い、ガチャガチャのカプセルを開けたときの匂い、そんな日常の香りたちが私に半ば強引にアプローチをかけてくるので、ここ数日は明らかにいつもと違う。
アルファベット順に整然と並ぶ香水のレビューたちは「もし、世界中のプラモデルの箱を開けて、それについて写真と少々のテキストが並ぶようなコンテンツがまとまった場があれば」なんて思ってしまう。
あるんですけどね。
書いてあるとおりで、みんなで作ってみんなで世界のすべてを手に入れたいですね。
僕も書いてますので、何卒。
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