Re:11colors

毎週木曜日更新(2023年5月現在)。模型、日常。面白いことあれば他の日も

朝、プラモと植物が並ぶ台所にて

 

プラモが枯れるとしたら、俺はそれでもプラモデルを作るだろうか。なんて思ったけど、作るだろうな。

 

朝起きて、ダラダラと部屋の様子を観察する。そうすると、部屋にはいろんなものが置かれていることに気づく。最近、植物を一個追加した。余計なものをついつい置いてしまうくらいなら、きれいな緑でも置いておいたほうが大層具合が良いからだ。そうそう、リビングの窓際にあった植物のうちのひとつをシンクのヘリに移してから、そういう具合の良さに気づいたのだった。

 

「シンクのヘリは水場である」と気づくまでには、とても時間がかかったと思う。この部屋を自然と照らし合わせてみると、池はシンクなのだ。湿地は風呂だろうか。しかし風呂に緑を置いたら一瞬で枯れそうな気がする。プラモもなにか不具合が生じる予感がするが、どうだろう。というか、風呂にプラモ、合うか?

 

 

風呂にプラモが合うかどうかはさておき、風呂以外の場所にはプラモはわりとマッチする。特にスケールモデルと呼ばれる類のものは塗ろうが塗らなかろうが落ち着いた感じがある。主張が少ないというか。マシーネンクリーガーというSFの架空戦記の中で登場するメカたちはここ最近で数が増えた。全部で8体くらいいる。多いな。キッチンの窓辺に4体並んでいる。そして後ろを向くと戦車が3つと、軍用車両と飛行機が1つずつタンスの上に並んでいる。

 

 

最近気づいたが、塗装したプラモというのはなかなか捨てにくい。なので、欲しい人がいたらその人に渡してしまいたい気持ちがある。ただ、それって責任逃れっぽい感じがする。そんなことをグダグダ考えながら保留され続けている完成品にだって立派な役割がある。「いつ飽きるのか」と自分を観察するには格好の存在なのだ。

 

俺の中ではプラモって完成品を手放さないと次が始まらないみたいな、そういうムードがある。戦車なんかはすっかりそんな感じで、これ以上うまく作れるか? と完成品を前にして思うことが多い。「手放すことで、次が生まれる」「これ以上うまく作れるのかと悩む」この2つは完成品をわざと溜め込んでみるとよく分かる。現に俺は今は戦車を作ろうという気が一ミリも起きない。

 

無責任に増やしても部屋がプラモデルであふれるくらいしか弊害がないので面白い趣味だなと思う。あと自分が作った完成品を置くことで、余計なものを置けなくなるのは「部屋を制している感じ」がする。飾るほどに気に入った窓際のマシーネンたちも、そこに調味料が並ぶのに比べるとだいぶ気分が良いのだ。

 

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