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毎週木曜日更新(2023年5月現在)。模型、日常。面白いことあれば他の日も

ふんわりと私を愛でてくれ -わたしがブログを書く理由-

 

はてなブログには10年くらいお世話になっているが、いくつかの記事を非公開にしている。私のブログは週に1回のペースで更新をしているので、パソコンからアクセスしてみてカレンダーで歯抜けになっているところがあれば、そこはかつて記事があったところだ。

 

非公開にしている記事は、人から見ると役に立つ記事だ。なぜそんなことがわかるのかというとSNSでシェアされる様子を見ていたからだ。「これは有益な記事」「シェアさえていただきます」「役に立ちますよ」こういった形でシェアされることが徐々に嫌になった。

 

「役に立た”されている”感じが嫌だ」というのが正確な気持ちだと思う。仕事では役に立たないと職を追われる羽目になるが、ブログというか、趣味はそうではない。そこが良い。だから役に立ちたくない。それに役に立つものばかりだと疲れる。ただ、インターネットで何かを調べるときは、問題を解決したいという動機もある。なので役に立ってしまうことがある。その先の「役に立つのでシェアさせていただきます」というノリがきついのかもしれない。

 

そう思うようになったきっかけは「ブログで稼ごう」みたいな空気に少なからず影響を受けていたからだ。バズるには、映えるには見たいな情報を黙っていても浴びるような時期が数年前まではあったと思うし、それに被れて役に立つ記事を作ろうと私も思っていた。その結果「ああ、これは違うわ」となっていくつかの記事を非公開にしたというわけだ。

 

非公開にしているという後ろ向きな話と併せて昨年くらいから、更新するのが面倒な日があった。週に一回以上の更新というのが書きすぎているのかもしれないと思ったり、飽きたんだなと思ったりもした。何せ10年以上書いているのだから。書く理由も特にないなと思いつつも記事を書いている中で「ブログとしての振る舞いを気にしているっぽいな」と気づいたのは今年の初めだ。何があったのかは自分でもわからないけど、急にそういうことが気になり始めた。もらった感想とか、そういうものを気にしすぎているのではと。

 



 

特に、ここ数年はプラモデルの話をたくさん書いた。そうするとプラモデルの人だと思われるようになってくる。自分はプラモデルの人だと自身でも思うようになる。SNSでのつながりもそういう人たちが圧倒的に増えたし、アクセスランキングだってプラモデルの話が上位を占める。ただ、少し考えると実際は新しい趣味が尋常なく面白いということが私の中で起こっただけだ。

 

なので、最近は友達と出かけて楽しかったとか、新しいフィギュアがかっこいいとかそういう話を書いている。それだって面白いし、楽しいから。しかし、そうすると、面白いくらいにアクセス数が下がる。そしてそれはそれでモチベーションが落ちる。ただ、別の楽しみがあることにも気づける。例えば、横浜スタジアムに行って写真を撮るのは楽しかったし、一緒に行った友人がその様子を特に気にせずにいてくれる様子が心地よかった。いつも行くお店に毎回最短ルートでたどり着けないので駅のどの出口から出るのか、電車は何両目に乗るのかを書くのも楽しかったし、書いたのに間違えたので笑ってしまった。

 

 

 

そういう何でもない話をもとにかなりゆるくつながる人がいるのがブログの楽しいところだ。「私たち、同じ話題を愛していますよね。仲良くなりましょうよ」というわけではない、ふんわりとした感じ。ただ、だからこそバイブスのみでの交流があるとも思う。「役に立たなくなったから、読まないわ」なんてこともなさそうだし、つながってるから毎回読むというわけでもない、そういう距離感。卒業してから仲良くなる友達みたいな感じだ。そして、そういう人たちは探して集めるものでもないので、あと何人かは出会えるかもしれないと思いながらブログを書いているというのが今なんだと思う。なので、ふんわりと私を愛でてくれる人を探しているということが、いま現在私がブログを書く理由になる。

 

こういった考えに至るまでの積み重ねが記事や文体ににじみ出る、それが消さない限りは残り続けるのがブログの面白さだと思う。私のブログは一冊の本にするにはあまりにもバラバラだ。ただ、こうして役に立つとか立たないとか、他人が描くであろう私へのイメージに気分が良くなったり反発したりした痕跡が残る。そういう意味ではバラバラであることに人が生きている感じがあるのかもしれない。

 

はてなブログは、文章を書き連ねる場としてもう一度仕切り直そうとしている感じがする。さっきも書いたけど稼ごう、バズろうというギラギラした雰囲気は随分減った。そうなって今、ブログとは何なのかということを見直しているのだと勝手に信じている。

 

ブログには、妙にかしこまり過ぎた文体というものもなく、話しているような書いているような言葉遣いがあると思う。声にならない分、文字を大きくしたり赤くする人もいるし、本でも書類でもないので改行もせずに延々と長文を書く人もいる。そういう、他の文字媒体とは少し違う集まりがある。曖昧な文体を持った集合というか。それを集めて書籍にしたら、どういう属性を持つのだろうか。それを文学フリマという場で試そうという試みがあるのではなかろうか。ブログの面白さというのをそうやって確かめていっているのではなかろうか。

 

 

私は、文学フリマには過去5回ほど出たことがある。最後は「これで最後だな」という人生の区切りみたいな感じだった。そうやって区切りをつけていくことが大人の過ごし方だと思っていた。ただ、もう一度出たいなと最近は思っている。趣味が変わっても生活が変わっても表現したいことは変わらない。だから、さっきも書いたけど私のブログは中身がバラバラ。なんだって面白いと思うし、それに対して書きたいのだと思う。だから続いている。文学フリマにはもう一度出たいとはいうものの、まだブースを構えるほどの「これだ!」という確固たるものがない。それでも、こうやって一冊の本に参加できるかもしれない場を作ってくれた、はてなブログには感謝しています。

 

特別お題「わたしがブログを書く理由