Re:11colors

しばらく毎週月曜日更新(2022年7月現在)。革靴、模型、日常。

役に立たないものでい続けたい

 

私が革靴の記事をめっきり書かなくなったり非公開にしたことには理由がある。ぶっきらぼうにいってしまえば「役に立つもの」として認識されるようになったからだ。そして、その様子がSNS観測できてしまえる状態なのが今、というわけだ。

 

私は「自分のブログにおいては有益な情報を書きたい」と思うことはあまりない。どちらかというと「自分の体験を記しておきたい」とか「気づいたことをまとめておきたい」とかそういう感じのもので、たまに通りかかった人が見てくれれば良いなみたいな感じだと思う。もしかするとTwitterとかの関わり方もある意味で往年のブログ的な接し方に近いのかもしれない。ほんのりコミュニティが形成されている感じというか。

 

なのでこのブログに関しては「役に立つぞ!」という感じで評価されると「もっと役に立つ情報を握っているぞ!」という風になることは少ない。SNS上で己の影響力を確認することはあるし、もっといいねやブックマークがつけばと思うことはあるけど。

 

 

革靴の話に関していえばもっと話したいことや書きたいことはある。ただ、それは「会って話そうぜ」と思ったり、文学フリマなどの同人誌即売会で伝えるようにしている。そういうところでしか言えないことは少なからずある。そこでしか通じ合えない何かがあると思っている。というかいろいろなものが、有益で、シェアされるようになったから、改めて会ったり、その場に訪れることに意味があると思う。

 

客観的に見れば「会えそうなくらいまでの関係性を構築すること」とか「そもそも現実で顔を合わせてしまうこと」自体が、徒労に終わる可能性もある。そのリスクを限りなくゼロにするという意味でも有益な情報がネット上でシェアされることに価値がある。

 

だからこそ、Twitterで友達のように仲良くなって、知り合うきっかけとは違う話で交流が深まったりすることに貴重さを感じているし、革靴のことなんて何も知らないのに「書いている話が面白そうだから」と文学フリマでが悩んだり、「全部ください」なんて言っていろんな方が買ってくれたことを見ていると余計に、そっちに肩入れしてしまう。

 

彼らにとっては話は面白いけど「どこが有益なのか」があまりわからないというのもあると思う。この辺の「見る人が見れば有益っぽいが、それはさておき面白いな」という感じをなんと言えば良いのだろう。

 

 

ここまで書いてみるとなんだか「革靴の話は書かない!」と怒っている人みたいになっている気がする。ただ、そういうわけではない。というものの、革靴の話で言えばもうファッションという分野がSNSと組み合わさってしまった以上、仕方がないことだと思う。

 

誰かが先に体験していることを事前にケアできるのであれば無駄な出費を避けられるような気がするし、実際そうであるパターンが多い。自分のセンス100%でぶっこんだ結果「ダサい」ということにはならないで済むというか。

 

そういう意味では、私がこのブログで書くプラモデルの話の多くは「こんな役に立たないものについて、役に立とうとせずに書いている」という点で自分では気に入っている。

 

私は役に立たないものが好きだ。部屋にはものが多いし、着ない服も「これは」というものは取っておいてある。その何ともいえないものに接しながら、何かと理由をつけてそれらがいかに素晴らしいものなのか、楽しかったのかを語るのが好きなんだと思う。

 

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