そもそもターゲット層が既存のプラモデルの中ではかなり若く設定されているのがポケモンのプラモデルだと思っていて、そのせいか、いわゆるモデラ―の興味の範囲外なのかなと思ったりもする。
ポケプラってマジで面白くて「似てない」みたいな話ほとんど出ないんですよね。それはターゲットが若いからなのかもしれない。キットに対して意見を言うみたいな動きがみられない。多分、そういう文化が無い人たちが作っているからだ。
俺はモデラ―でもあるし、ポケモン赤緑直撃世代なので実のところ気になるところはいくつかある。例えば、赤緑のころのポケモンってキャラクターというよりは生物寄りなのに、プラモになると少しキャラクターっぽくなってしまう。それに関しては「世代が進むことに爪やトゲが鋭さが抑えられて行っているのでは?」というポケモンのデザインに関する指摘があったりするので合っていると思う。
デザインの指摘が成立する理由はポケモンにはシリーズごとに似たような役割のポケモンがいるからだ。例えば「ピカチュウ枠」とか「ポッポ枠」みたいな存在がいて、それらを世代ごとに比べていくと、生物からキャラクターへとデザインの方向性がシフトしていっているみたいな話。
そのような「キャラクターとしてのポケモンらしさをまとってしまったなぁ」と思うキットはいくつかある。例えばフシギダネは赤緑時代に水彩画で描かれている「ちょっとヤバそうなカエルっぽさ」ではなくて、25年以上のときを経て形になったポケモンっぽさをまとってプラモデルになっている。なので、赤緑の頃よりずいぶんとかわいらしく、寄り添ってきそうな見た目になっている。
ただ、そういう話はまるで聞かない。モデラ―としての目と、ポケモン赤緑世代としての目の両方を持った自分からすると解釈違いが起きず、誰も文句を言わない良い世界出来上がっているように見える。なので、口出しするのも野暮だなというジャンルだと思っている。実際に、パーツ分割とか出来上がりには文句ないし。
確かに「俺の知ってるフシギダネよりプラモのフシギダネはかわいい、人間に慣れているようなたたずまいだ」とは思う。ただ、それって別に言わなくてもいい。しかし、言う人がいないのも不思議だねという。
プラモデル的な面白さというと、人気ポケモンがバシバシとバリエーション違いで発売するところ。ピカチュウがポーズ違いで三種類って完全に戦車でいうとティーガーのバリエーションがやたら出てるのと同じだし、今度出るっていう色違いレックウザは成型色違いのカーモデルと似ているという意味でプラモデルっぽい文脈がある。
つってもこうやって書いてて気づいたけど、ピカチュウのプラモデルはピカチュウのグッズなのかもしれない。そう思うとティーガーのプラモはティーガーのグッズなのか?
どっちにしても文句が出ないプラモっていう意味でとても聖なるジャンルだな……という感じ。トミーのプラモデルの話とかも出てこないしね。探せば出てくるけど。多くのモデラ―の議題に上がらないのはやっぱりターゲット層が若いというか、ポケモンの誕生が絶妙に遅かったからなんだろうな。論ずるにもわからない存在になっているというか。
ポケモンは「子供のもの」っていっても最初の世代はもう30代後半ですし。そういう大人も親しむようになったモノっていっぱいあるよな。
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