機械式の腕時計は、放っておくと止まってしまうことに意味がある。
会社で同じタイミングで入社した歳上の方が半年ほど前に私に時計をくれた。その時計はTudorのRangerというモデルで、昔のもの。黒文字盤に視認性の高いエクスプローラーダイヤル。針はイカ針と呼ばれる独特な形状をしていて、いかにもアクティブな見た目の自動巻きの腕時計だ。フィールドウォッチが何であるかはさっぱりわからなくなった今でもなぜかその響きがふさわしいと感じる。
自動巻きの腕時計は自分の腕の動きがそのまま針を動かす力になる。そんな風に自らの力が動力へ直結するものの中で、日常生活で出くわすものは自転車やスケートボードくらいなものだ。自動巻きは人間の活動と密接に関わっている非常に身体的な装置だと思う。
そう思うとダイレクトに自身の活動がエネルギーに変換されている様子が見られるのは短針、長身、秒針で構成されたシンプルな3針の腕時計だ。文字盤を規則的に回り続ける秒針は持ち主の活動をエネルギーに変えて動いていることを存分に私たちに教えてくれる。眠かったり、寝坊したりした日にパッと手にとって時間を合わせる時計がなぜ「3針、日付なし」の腕時計なのかをずっと考えていた。それに「いかにもアクティブ」と最初に書いたが、実際には今日の今日まで本当の意味はわかっていなかった。
針の動きが確認しやすいデザインは、私の活動が時計を動かしていることがよくわかるという重要なポイントだ。眠かろうが怠かろうが、パワーを生み出していると思うと気持ちも自ずと上がってくる。だから「アクティブな見た目」と思えるのだろう。だるい日の腕時計は3針、日付なし、自動巻きで決まりだ。