20cmくらい髪を切った。柄物のスーツを着る上では、ある程度長い髪の毛は雰囲気を演出するために必要だったのに。それは、柄というふわふわとした概念に上から蓋をするような役割があったと思う。革靴も茶色がメインなので、悪く言えば遊んでいる感じ、よく言えばおしゃれな感じが大事だった。どっちもいい言葉に聞こえないな。整った長い髪は「気を使っている感じ」を出している、といえば正しいか。
柄物のスーツを着なくなったのかというとそうではなくて、じゃあどうしたのかというと、自分が誰に見られているのかを振り返ったのが原因だ。スーツを着ているときの私、というのは仕事の姿になる。なので、長い髪の毛は仕事向けだった。今はそれよりも、プライベートの私を大事したいというか、なんだろうな、そこまで仕事の私を背負い続ける意味ってあんまりないなぁという気持ちになったのだ。
決して、仕事はどうでもいい、プライベートを大事に!というわけではないのだけど(と書かないとこう行った事実のみの記載ですら、自分を慰めているようだと言われるのが面倒だ)、誰に見られてるのかというテーマに関して心境の変化があったのは確かだ。切った後に私服で出かけると、短い方が相性がいいのも良くわかる。
もう一つ大きな理由がある。それは理容師さんのことだ。一年前に15年近く散髪をしてくれた方が、退職し遠くへ行った。その際に「俺はどこで髪を切ればいいのか」と話をして、教えてもらったのが今のお店だ。
人からの紹介ということで、最初は恐る恐る切っているのは目に見えて明らかだった。最初だし、当然なんだけど。そこから徐々に短くして行って、前回、ようやく気づいたことがある。「この人、バリカン使うのうまいな」と。理容師だって人間なので得意不得意はあるはず。そんなこと考えたこともなかった。無論、向こうも「私はこの髪型が得意です。なのでその髪型にさせてください」なんていうわけもない。お客さんのオーダーに合わせて切るのが仕事というか、通常である。
なので「これくらい短くするのはどうか?」と写真を見せたら「似合うと思います」といって、私が了承すると、「ありがとうございます」ということで、バッサバッサとトップの髪の毛を切り、瞬く間にバック~サイドは綺麗なスキンフェードにされた。その後全体のバランスを取り、さらにスキンフェードの調整をしていた。眼鏡がないと何も見えない中、髪の毛が短いということだけが、頭の軽さや切られた髪、バリカンの使用時間から察せられるだけだった。
「どうぞ」といわれて渡された眼鏡をかけて鏡を見た第一声は「うまっ」というものだった。似合う似合わないじゃなくて、とにかく上手だというのが第一印象で、その後に短い方が私服だといいんだよな……という感想が追いついてきた。
「似合うというよりもうまいですね」と再度話すと、こだわっているところを教えてくれた。バリカンで刈り込まれた部分を「色」と称する理容師に初めて出会った。長さを調整して色がバラバラにならないようにするのは理容師の方がうまいですね。なんて。多分、次も短くするだろうな。だってうまいんだもの。
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