Re:11colors

毎週木曜更新(2021年1月現在)。革靴、模型、日常。

カメラで寄るとわかる塗装という行為

カメラのレンズを思いっきり無塗装のプラモデルに近づけて写真を撮るとわかるのは、プラスチックやレジンなどの素材の面白さで、素材がむき出しであることが一目で分かり「本物だな」と反射的な納得がなされるという事実。

私はプラスチックがプラスチックであることやレジンがレジンであることに納得して、プラモデルをなにかのレプリカではなく、有り体に言うと「そういう素材の置物」と定義した場合の本物さに非常に関心した。ダイヤモンドに寄ってみたらやっぱりダイヤモンドだったみたいなそういう話。

 

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塗装をしたものに寄ってみると私の拙い腕前もあって、きっとなんの本物感も得られることなく終わるだろう。全然楽しくない時間が流れる。だから、塗装なんてするもんじゃない。と2日くらい前は思っていたがこれは違った。

おそらく、塗装をしたものに寄ると分かるのは塗装という行為の一種の気高さだろう(といっても当人たちが気高いとか言い出すと私は困る)。実際に無塗装と塗装は明確に線が引かれているが、塗装の中には当然、上手い下手がある。非常に上手いものに寄ったら、モチーフになったものと比べて「本物みたいだ」と思うだろう。「本物の人みたいだ」と。

 

塗装という行為は、一度やってみると分かるがどうやっても実物(ここからはモチーフになったものを実物と言う)どおりにならないという、プラモデルと実物の間にある薄く透明な壁に気づく。人なんかは特に大変なもので、欲望に任せて黒い点で目をちょんっと置こうものなら、てんでどうにもならないとう事実にぶつかってしまう。むしろ、目なんかは描かないほうが良いという賢明な判断で実物とうまく距離を置いたほうが良いとすら思う。

 

つまり、無塗装よりも悪くなってしまうことがある。実物に迫ろうとするがゆえに実物とのギャップが明らかになってしまう。ここで私のように「無塗装の方がプラモデルとして本物なんだぜ」と強いスタンスを出すのもいいが、そればっかりではダメなのが現状でもある。むしろ、塗って実物に近づこうとしたことのほうが、良手だとされることがほとんどではなかろうか。だっていずれ、大なり小なりうまくなるので。

 

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この「実物に近づこうという行為」を真剣に行う場合の気高さは非常に面白いと思う。一旦、足を踏み出してうまく行かないことに気づきながらもなお、実物に迫ろうというわけだ。一度、断られているのに、最後にはOKをもらうというような、ストーリーがある。

塗ることで一旦、プラモデルにも自分にも裏切られたような気持ちになっても、なお上手くなろうとし続ける。そして、レンズが被写体に触れそうなぐらいに「寄っても良い」ものが出来上がったときの良さは、とても良いものなんじゃないか。

もちろん、寄らなくても良い。うまくなり続けようとしている限りは素晴らしい可能性がある。

 

というわけで、私はうまく塗り続けようという人は、好きです。

私も、たまには塗りますが、無塗装でうまく組み立て続けようと思います。

 

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